「東をどり」とは

幕末に興り、近代化の明治に発展した新橋花柳界。芸の一流を目指し、新橋芸者の晴れ舞台「東をどり」の場として、大正14年に造られたのが新橋演舞場。その開場記念、こけら落とし公演が東をどりの始まりでした。

普段は一見お断りの花柳界ですが、近年は1年に1度、毎年5月に開催、演舞場を大料亭に見立て、踊りに料亭の食はじめ、様々に伝わる文化を遊ぶ場として人気を博してきました。


料亭でしか見ることのできない芸者衆の、粋で艶やかな踊りや芸を見ることができる、1年に1度の貴重な機会です。

今年2025年、東をどりは百回目の開催を迎えます。百は特別な節目、記念公演とするテーマを探します。東京は江戸に始まる歴史浅き処、そこに今、多くの人が暮らします。日本中の人が集まる東京は日本を表わす催しに相応しき処でした。北から南、それぞれに色を持つ花柳界が在ります。記念公演に日本各地の芸者衆を日替りでお招きします。迎 えます新橋芸者衆と日ごとに競演、東をどりの七日間、日本の綺麗が演舞場に集います。

新橋芸者は尾上、西川、花柳、三流の家元の直弟子。指導頂く先生方になるべく多くの主役をとお願いしました。

序幕は清元の青海波が四日間を二組、長唄は百年三番叟で一組が三日間。楽曲は交互に、主役は三組の日替りとなります。

休憩無しの二幕目、ここが各地の芸者衆の踊りです。二花街から五花街が日替りで出演、それぞれの色を競う七日間となります。

休憩を挟み三幕目、テンポよく転換する楽曲もさまざまなお好みの舞台、ここに新橋芸者衆は出揃います。それは暗転からの口上、フィナーレへ続き終幕を迎えます。