金龍山浅草寺本堂 大提灯「志ん橋」を奉納

日頃よりの東京新橋組合、芸者衆と料亭に賜りますお力添えに感謝申し上げます。コロナ問題の発生以来日々変化する情勢を案じ、本年 5 月開催の第96回東をどりも取り止めました。

この度、16 年振りに大提灯「志ん橋」を奉納させていただくにあたり、初回より変わらぬ芸の一流を目指し街の繁栄を祈願することに加え、今は事態の一日も早い終息と皆様方のご健勝を合わせて祈念し、奉納いたします。

東京新橋組合 頭取 岡副真吾


幕末に興り、近代化の明治に発展した新橋花柳界。それを支える東銀座から築地一帯の料亭、茶屋、芸 者置屋で構成されているのが東京新橋組合(東京都中央区銀座)です。

昭和20年3月10日未明の東京大空襲で消失した浅草寺本堂が、無事に落成を見た昭和33年(1958年)から、東京新橋組合は、本堂正面の大提灯を「志ん橋」と揮毫し、これまで8回奉納を続けています。

前回平成16年から16年振りとなる本年、改めて芸の一流を目指し、街の繁栄を祈願し、更に現況の事態終息を願い、大提灯を 9 回目として奉納いたしました。

本堂大提灯「志ん橋」に、東京新橋組合の料亭8軒、茶屋3軒、芸者46名の名も記しています。

浅草寺には、4張の大提灯が掛かっていますが、一番大きなものが 本堂の「志ん橋」大提灯です。(高さ4.5m、幅3.5m、重さ約600kg)

昭和33年から平成6年に行われた7回目の奉納までは、右上に「志」を 置き、「ん」で丸めて髭を伸ばし「橋」を左に配置する「飾文字」でしたが、 前回の平成16年より、浮世絵師・歌川広重 「浮絵浅草寺雷門之図」に描かれている江戸の昔の文字に立ち返り、江戸文字書家、橘右之吉氏が揮毫した江戸文字「志ん橋」へと替わりました。この度も橘右之吉氏の文字を継承しています。大提灯は、これまで同様、亨保15年(1730年)創業の京都の高橋堤燈株式会社に依頼、鳥取県の伝統工芸品である因州和紙を使用し、色鮮やかに改修していただきました。

写真は令和2年4月18日(土)奉納までの様子です。

写真提供:金龍山浅草寺

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